方丈記養和の飢饉「けいしぬれば」の考察
1 はじめに
鴨長明が著した方丈記は、平安末期の四大災害一変事の詳細を記録したものとして有名である。特に養和の飢饉については、春夏が旱で、秋は大風洪水が起こり、五穀が悉く実らないで、東国は源頼朝、源義仲が押さえたために京都に穀物が入らない事態となり、次の年は疫病が流行り、京中に死体があふれ、仁和寺の隆暁が四五月京都の東半分の死者数を数えたら、四万二千三百余りあり、河原、白河、西の京、その他の辺地は際限も無いとしている大飢饉であった。
又養和ノコロトカ久クナリテヲホエス二年カアヒタ世中飢渇シテアサマシキ事侍リキ或ハ春夏ヒテリ或ハ秋大風洪水ナトヨカラヌ事トモウチツゝキテ五穀事ゝクナラスナツウフルイトナミアリテ秋カリ冬ヲサムルソメキハナシ是ニヨリテ国々ノ民或ハ地ヲステゝサカヒヲイテ或ハ家ヲワスレテ山ニスムサマサマノ御祈ハシマリテナヘテナラヌ法トモヲコナハルレト更ニ其ノシルシナシ京ノナラヒナニワサニツケテモミナモトハヰナカヲコソタノメルニタヘテノホルモノナケレハサノミヤハミサヲモツクリアヘン。ネムシワヒツゝサマサマノ財物カタハシヨリスツルカ事クスレトモ更ニメミタツル人ナシタマタマカフル物ハ金ヲカロクシ粟ヲゝモクス乞食路ノホトリニヲホクウレヘカナシムコヱ耳ニミテリマヘノトシカクノ如クカラウシテクレヌアクルトシハタチナヲルヘキカトヲモフホトニアマリサヘエキレイウチソヒテマサゝマニアトカタナシ世人ミナケイシヌレハ日ヲヘツゝキハマリユクサマ少水ノ魚ノタトヘニカナヘリハテニハカサウチキ足ヒキツゝミヨロシキスカタシタル物ヒタスラニ家コトニコヒアリクカクワヒシレタルモノトモノアリクカトミレハスナハチタフレフシヌ築地ノツラ道ノホトリニウヘシヌ物ノタクヒカスモ不知トリスツルワサモシラネハクサキカ世界ニミチ満テカハリユクカタチアリ
サマ目モアテラレヌコトヲホカリイハムヤカハラナトニハ馬車ノユキカフ道タニモナシアヤシキシツヤマカツモチカラツキテタキゝサヘトモシクナリユケハタノムカタナキ人ハミツカラ家ヲコホチイチニイテゝウル一人カモチテイテタルアタヒ一日カ命ニタニ不及トソアヤシキ事ハ薪ノ中ニアカキニツキハクナト所々ニミユル木アヒマシハリケルヲタツヌレハスヘキカタナキ物フル寺ニイタリテ仏ヲヌスミ堂ノモノゝ具ヲヤフリトリテワリクタケルナリケリ濁悪世ニシモムマレアヒテカゝル心ウキワサヲナン見侍シイトアハレナル事モ侍キサリカタキ妻ヲトコモチタル物ハソノオモヒマサリテフカキ物
必サキタチテ死ヌソノ故ハワカ身ハツキニシテ人ヲイタハシクヲモフアヒタニマレマレヱタルクヒ物ヲモカレニユツルニヨリテナリサレハヲヤコアル物ハサタマレル事ニテヲヤソサキタチケル又ハゝノ命ツキタルヲ不知シテイトケナキ子ノナヲチヲスイツツフセルナトモアリケリ仁和寺ニ隆暁法印トイフ人カクシツゝ数モ不知死ル事ヲカナシミテソノカウヘノミユルコトニヒタイニ阿字ヲカキテ縁ヲ結ハシムルワサヲナンセラレケル人カスヲシラムトテ四五両月ヲカソヘタリケレハ京ノウチ一条ヨリハ南九条ヨリハ北京極ヨリハニシ朱雀ヨリハ東ノ路ノホトリナルカシラスヘテ四万二千三百アマリナンアリケルイハムヤソノ前後ニシヌル物オホク又河原白河西ノ京モロモロノ辺地ナトヲクハヘテイハゝ際限モアルヘカラスイカニイハムヤ七道諸国ヲヤ崇徳院ノ御位ノ時長承ノコロトカカゝルタメシアリケリトキケトソノ世ノアリサマハシラスマノアタリメツラカナリシ事也
養和の飢饉の内、「明くる年は、立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘(エキレイ)うち添ひて、まさ様に跡形無し。世人みな『けいしぬれば』日を経つつ極まり行く様、少水の魚の例えに適へり」とあり、『けいしぬれば』の意味について様々の説がある。しかし各説とも決定打に欠けると先人達は述べている。
そこで、今回この『けいしぬれば』について、その意味を考察する。
2 各異本の表現と各説
方丈記には、様々な異本があり、最も有名なのは、奥書に
右一巻者鴨長明自筆也
従西南院相伝之
寛元二年二月日
親快証之
とある大福光寺本で、親快と思われる者の証拠により長らく長明の自筆であるとされてきたが、欠落部分や筆者であれば間違えるはずのない誤字などから、これも書写されたものと現在は考えられている。
その他で簗瀬一雄博士によって古本系統に分類された、加賀前田家に伝わる前田家本(写真)、名古屋図書館蔵の名古屋本(鈴木旧蔵本)、吉沢義則博士蔵の保冣本、土肥慶蔵旧蔵の幽斎本、天理大学図書館蔵の氏孝本(九条侯爵旧蔵本)など。
また、同じく同博士により、流布本系統として嵯峨本、陽明文庫の近衛本、戸川は浜男氏旧蔵の三条西兼良の奥書のある兼良本、古活写本、正保整版本などに分類される。更に、四大災害一変事を掲載しない略本方丈記がある。
各異本の『けいしぬれば』の部分は、方丈記全注釈によると
大福光寺本 世人ミナケイシヌレハ
前田家本 人ミナ下意し死にけれハ
保冣本 世の人みなやみ死にけれは
氏孝本、名古屋本 世の人みなやみ死ぬれは
兼近衛本、嵯峨本 世の人みなうへしにけれは
簗瀬本 世の人ミな飢死(やミ イ)にけれは
となっており、「けいし」としているのは、大福光寺本と前田家本のみとなっている。その他の本は、同じ意味とした場合、「病み」か「飢へ」と考えてもよい。
しかし、その前の疫癘から、飢え死にする様子というより、病気の症状を現していると考えるべきかも知れない。
「けいしぬれは」は、濁点が記されていないことから、「けいし」、「げいし」、「けいじ」、「げいじ」の四通りの読み方となる。
これを各者の考えた説では、佐竹昭広博士は、新体系の中で「門を閉じ、中に引き籠もってしまったので疫病流行の際、留守と称して疫病神から逃れようとする習俗があった。なお、この語、難解をもって知られ、未だ結着を見ない。」として扃(色葉字類抄)と、三木紀人博士は、集成の中で「未詳。『飢(けい)し』、『係(関係)し』、『飢死』など諸説があるが、決め手がない。仮に「飢」としておく。」と、神田秀夫博士は全集の中では、「難語で筆者にも解釈妙案もない」と保留し結局「係」と、安良岡康作博士は、講談社学術文庫では、「※病垂に圭」(げい)とし、新注国文学叢書「方丈記」よると川瀬一馬名誉教授は、「或はケ飢の仮名表記で、イはその音が延びたものかもしれないが、他にさういふ用例も見えず、未詳といふほかはない」としている。簗瀬一雄博士は、「このケイに傾・頃、または稽をあてて考えてみた。傾・頃はかたむく意であるから、ここにてれば、困り切ってしまったので意味になろし、稽には、とどこおる意があるので、万事窮してしまったでの意味になるであろう。後に「きはまりゆくさま」がでるので、前者の方がよいかも知れない。」として「傾」としている。
まとめると、「扃」、「飢」、「係」、「※病垂に圭」、「傾」として、「下意」について考察する者はない。それぞれの論をみると、「扃」か「※病垂に圭」が素直な論と思える。
これにも、ほとほと困った。ケを飢渇(けかつ)の飢(け)と解すると、イが解し難い。詩歌(シイカ)・四時(シイジ)の類と違って、ここはケだから、餓死がケイシとはなるまい。青木令子氏は「ケイす」という動詞(サ変)が何かあるのではないだろうかと言われる。そこで、私はケイという音を持つ漢字を、かたっぱしからあてはめてみた。定家が阿弥陀経をアミダケイと漢音で読んだ物があるそうである。土岐善麿氏にうかがった話だが、それを思い出して、「経」かと初め思ったが、どうも落ちつかない。結局、大字典を引いて「繋」、「係」あたりだろうと思うにようになった。今、「係しぬれば」と解しておく。(神田秀夫 「解釈と鑑賞」昭和三十九年九月号)
3 疫癘と病状
疫癘を大辞林で引くと「悪性の流行病。疫病。」とあり、同じ意味のえやみを引くと
え‐やみ【▽疫病み】
1 悪性の流行病。ときのけ。えきびょう。
2 (「瘧」とも書く)おこり。今のマラリアのような病気。わらわやみ。〈和名抄〉
おこりをひくと、
おこり【×瘧】
《隔日また周期的に起こる意》間欠的に発熱し、悪感(おかん)や震えを発する病気。主にマラリアの一種、三日熱をさした。えやみ。わらわやみ。瘧(ぎゃく)。《季 夏》
と出てくる。
流行病として先ず思い浮かぶのが、流行性感冒、つまりインフルエンザである。インフルエンザは、大陸から鳥とともにウイルスが飛来し、人畜に感染して流行する。現代でも老人や子どもで死者が出る病気であり、まともな治療がなされない平安時代であれば、なおさら死者数は、膨大になる。しかし、咳(しわぶ)き病みが流行っているという表記が公家の日記の玉葉でも出てこない。
次に「秋大風洪水」と大型台風が飛来した事が記載されており、洪水の後に発生するのは、赤痢や秋疫と呼ばれていたレプトスピラ病であり、可能性は大きい。国立感染症研究所によると、アメーバー赤痢は、「潜伏期は2 ~3 週とされるが、数ヶ月~数年におよぶこともある。赤痢アメ-バ性大腸炎は粘血便、下痢、テネスムス(※補足 しぶり腹)、排便時の下腹部痛などを主症状とする。肝膿瘍などの合併症を伴わない限り、発熱を見ることはまれである。」と粘血便を特徴に上げられ、レプトスピラ病は、3 ~14 日間の潜伏期間を経て悪寒、発熱、頭痛、腰痛、眼球結膜の充血などが生じ、第4 ~5 病日に黄疸が出現したり出血傾向も増強する。」とのことである。
ハマダラカを媒介とするマラリアと聞いて、熱帯の風土病と思う人が多いが、古来日本では、瘧(おこり、わらわやみ)として普通の病気であった。大友 弘士博士によると「マラリアは平家物語、古今著聞集、明月記、十六夜日記など、古文書の中にも枚挙の暇がないほど数多く描写されており、往事の流行を窺い知ることができる。」と述べている。
例えば、源氏物語若紫帖では、源氏が夕顔が亡くなった後、わらわ病みに罹り、北山の僧都に加持祈祷をして貰い治癒したとなっている。また、平家物語では、百二十句本の剣の巻に「また頼光、そのころ瘧病わずらはる。」とある。更に今昔物語集巻第十二 神名睿実持経者語三十五(同話で宇治拾遺物語下 第十二ノ五 持経者睿実効験事)に藤原公季が瘧を睿実の法華経読経で治癒する話もある。後、調べた限りでは、古事談 三ノ四十二 天元四年頃の夏に藤原信長久しく鬼瘧を煩いと加持祈祷で治ったというものが多い。どの高名な僧侶の加持祈祷でも治らないため、人伝を頼って高名の僧侶に依頼した時に、三日熱マラリアの症状が突然消えるという特徴に偶々合致したということのようである。
また、松尾芭蕉は瘧により死亡したということである。
マラリアは、四種類あり、三日熱マラリア、卵形マラリア、四日熱マラリア、そして熱帯マラリアとなっている。このうち、かつて日本でも瘧病として流行したのが、三日熱マラリアである。現在多くの人々が亡くなっているのは熱帯マラリアである。
三日熱マラリアの死亡率は低く、マルティーヌ モーレル氏によると「1969年スリランカで三日熱マラリアが流行ったとき、500万人の感染者が出たが、死亡者はひとりも出なかった。」とあるが、死亡に至る場合は、感染者の栄養状態が悪い時、つまり飢饉時は、死者数が増えることとなる。
同じくマルティーヌ モーレル氏によると、「最初に刺されてから初回の発症までの潜伏期間は9~15日、場合によっては1年以上というケースもあり、感染したマラリア原虫の種類による。」とあり、同じ三日熱マラリアでも系統により違うと言うことである。
物語だから信憑性はないとも言えるが、源氏が発病したのは春で3月晦日に北山の僧都の所へ加持祈祷に言っている。しかし瘧は夏の季語であり、ハマダラカに刺され、夏秋特有の病気であればわざわざ春に持ってくることはない。櫻の季節にということであれば、3月晦日、グレゴリオ暦なら5月上旬にすることもなく、秋であれば紅葉にすれば良いだけとなる。また「去年の夏も世におこりて」とあり、夏に一度発生したこととなる。
源氏物語 若紫
瘧病にわづらひたまひて、よろづにまじなひ加持など参らせたまへど、しるしなくて、あまたたびおこりたまひければ、ある人、「北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。去年の夏も世におこりて、人びとまじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、あまたはべりき。ししこらかしつる時はうたてはべるを、とくこそ試みさせたまはめ」など聞こゆれば、召しに遣はしたるに、「老いかがまりて、室の外にもまかでず」と申したれば、「いかがはせむ。いと忍びてものせむ」とのたまひて、御供にむつましき四、五人ばかりして、まだ暁におはす。
やや深う入る所なりけり。三月のつごもりなれば、京の花盛りはみな過ぎにけり。山の桜はまだ盛りにて、入りもておはするままに、霞のたたずまひもをかしう見ゆれば、かかるありさまもならひたまはず、所狭き御身にて、めづらしう思されけり。
症状としては、周期的な発熱、悪寒、頭痛、嘔吐、下痢、痙攣で、酷くなると脾臓が腫れ、口唇ヘルペスが生じる場合もある。赤血球が破壊されるので、貧血や酷い場合は黄疸の症状を示す。
再発は、2種類あり、「早い時期、すなわち最初の発作から8~10週頃に再発するものと遅い時期、すなわち30~40週頃に起こるものである。」として「通常、感染後3年以上たつと再現しなくなる。」としている。
4 考察
諸氏の推察を考えた場合、他異本の病との関係から読みがやまいである安岡氏の「※病垂に圭」が有力と考える。
前田家本の「下意」(げい)を考えた場合、疫病の種類、症状についても考察する必要がある。
まず、咳病の発生を示すものがないことから、インフルエンザは除かれる。また、洪水による赤痢やレプトスピラ病の場合、潜伏期が2 ~3 週とされ、場合によっては数ヶ月~数年とのこともあるが、多くの者の年明けの発病を考えるともっと早い時期に流行すると考えられる。
マラリアの場合、一度夏に発症したが、再発期が丁度年明けとも考えられる。養和元年の夏には、まだ食料があったが、その年の不作により、年末頃から極度の栄養失調状態となり、春には大量病餓死に繋がったのではないだろうか。
マラリアが疫癘と仮定すると、「下意」とは、意が下る、つまり貧血症状ではないだろうか。「アリクカトミレハスナハチタフレフシヌ」とあり、突然の貧血を表しているとも考えられる。また下痢症状を伴うことから、下痢のこととも考えられるが、もう便として出す物がないほどの栄養失調を起こしていることから、下痢の意には考えにくい。
以上のことから、養和二年の疫癘はマラリアの再発期の大量死と仮説を一つ提起したい。
5 参照文献
方丈記研究序説 簗瀬一雄 国文学研究 第六輯 昭和11年五月
方丈記 全注釈 簗瀬一雄
方丈記;徒然草 佐竹 昭広 久保田 淳 新日本古典文学大系角川書店
方丈記/徒然草/正法眼蔵随聞記/歎異抄 神田秀夫 永積安明 安良岡康作 校注訳 新編日本古典文学全集44 小学館
方丈記 発心集 三木 紀人 新潮日本古典集成 新潮社
感染症の話 国立感染症研究所 感染症情報センター
◆レプトスピラ症 国立感染症研究所細菌部 小泉信夫 国立感染症研究所 2000年第47週掲載
◆アメーバ赤痢 増田剛太 都立清瀬小児病院 2002年第30週号掲載
旅行者のためのマラリア・ハンドブック マルティーヌ モーレル著 大友 弘士監修, 松永秀典訳





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